- 宮本昇 / Noboru Miyamoto
アナログとデジタル表現

情報社会になって一部のプラットフォームビジネスからソーシャルネットを通じて毎日数えきれないコンテンツが共有される昨今。アナログ手法とデジタル手法についてよく1人で考えてる時間がある。
アナログはより解像度の高くて劣化しにくいもののことをいうと思うのだが。
デジタルを使うと可能性が広がる代わりにデジタルは解像度がアナログに比べるとぐんと落ちる(いま2019年現時点では)デジタルカメラの歴史って1975年くらいからあるのだけどここでは省略して1999年に ニコンがAPS-C型CCDセンサーサイズ採用、一眼レフカメラD1を発売していて、そこから急速にデジタルカメラは普及して、今ではフィルムは古い過去の思い出になっている。
もちろんテクノロジーが進化すると表現できる世界はすごく広がる。
写真や映像は2次元の平面のキャンパスやモニター上に表現できる手法だったけどテクノロジーを使って3次元の視点や過去の手法×過去の手法で新しい表現として写真を考えるべきでないかとよく思う。
アナログ手法はすごくシンプルでわかりやすい。時間やコストがかかる以上にアーティストの熱意も感じる。
アナログの表現があるからこそ今の最先端の表現が存在する。
ただフィルム写真で撮影する行為をアナログっていうけど、ぼくはカメラマンやってるけどフィルム写真とデジタル写真比べてもどっちか見分けがつかない。
2000年くらいのデジタルカメラなら解像度の低さならだれが見ても見分けがついたと思う。
ぼくはもう10年くらいフィルムカメラには触れていない。アナログをこよなく愛する人は僕の周りにもたくさんいる。もちろんソーシャルネットやウェブサイトにフィルムで撮影した作品を公開している写真家もよく見かける。1つだけはっきり言える事はフィルムで撮影した写真をスキャンしてデータ化した時点で粒子はピクセルもしくはドットに変換されているのだからそれってデジタルだよな~って疑問によく思う。
フィルムを永久に保存しようという写真協会の活動も存在するらしい。人間の網膜は約8kと言われていて、8kVRの世界はおそらく約5年後くらいには必ず来る。8kVRでデジタル表現できるとアナログとデジタルの境目は人間の感覚ではわからないし、肌で感じなくて良いものはおそらくデジタルに置き換わってくると思う。そういった世界になったとき二次元のグラフィックは粒子レベルで再現できる(必要ないからされないと思うけどね)でもこれって結構重要だと思うんだよね。現状プリンターが8ビットの情報しか出力できないが16ビット(2進法で2の16乗)になると色空間は65536色の65536階調になるわけだからここまでくると粒子をピクセルに置き換えたところでデジタルでもアナログでもどっちでもいいし、そこまでアナログにこだわる必要性も薄くなってきそうだ。 最近のカメラ市場を観察しているとどのメーカーもミラーレスにシフトしている。ミラーがあることで重量も増えるのだからもちろん僕もミラーを取り除くことは賛成だ、瞬間的にシャッターを押したときのタイムラグが0になることはないけどかなりストレスは感じないがミラーがない分シャッターの感覚やシャッター音はもちろんフェイクだし消すことだって可能。10年後くらいは生のシャッター音なんて聞く機会すらなさそうだ。 もちろんアナログの表現は素晴らしい。流儀を重んじる姿勢もデジタルには無い。コストや時間がかかる分表現者の熱意も込められるどの分野でも言えるけど数字で計算できる以上すべてデジタルに置き換わると思うしアナログにこだわるのって人間の動作にしかデジタルとアナログの違いがないなあと思う今日この頃。